土下座

鈴木砂羽さんが演出する舞台で、

俳優が土下座を強要された、されていないと揉めているという芸能ニュースが前にあった。

今は、その芸能ニュースはないみたい。


「土下座」と聞いて、モヤモヤした感情が残ったままだ。


土下座を強要していないという鈴木さんの主張は、事実なんだろうなあと思った。

けれども、床に正座した姿勢で深く頭を下げたら、

その格好は正に「土下座」になってしまう。

なので、土下座したと言っても嘘ではないことになる。


「誰かさんのせいで通し稽古ができなくなった」とみんなの前で言われることが、

舞台の稽古では当たり前なんだろうかと疑問に思う。


学校などでは、児童生徒を叱責する場合、大勢の前で晒し者にしないようにと注意するのは当たり前。

わざわざ「誰かさんのせいで」のような言い方をするのは、良くないなあと私は思った。


そういうの、芸能界では当たり前?

嫌だなあ。

土下座してもなお、舞台に出ることに意味があるという人もいるようだ。


鈴木砂羽さんじゃなく、もっともっと権威のある演出家だったら、

何を言われても、何をされても、

俳優は、「ありがとう」と感謝するものなんだろうか。


演出が初めての鈴木砂羽だから、

土下座を強要されたどうのとの騒ぎになったんだろう。

権威ある演出家だったら、やりたい放題なのかな。


今回の土下座騒ぎでは、演出家を見る目が変わってしまった。

演出家は、舞台の支配者。演じる人たちを屈服させているという見方が強くなった。


できれば、みんなで作りあげている世界であってほしい。

ても、実際は、演じる人たちは、偉い人のコマなのかな。

偉い人の思い通りにならなかったら、感情的に暴言を吐かれたり、厄介払いされたりするものなのかな。



私はたいてい毎日家に居て、家族以外の人と接する時間が少ない。

ネットやテレビから影響を受ける時間が多い。

芸能人の言動に強く影響受けているという自覚があるが、

もうちょっと距離を置く必要があるなあ。


テレビや映画に出ている人はスゴイ人なんだと思っているところが私にはある。

有名人はスゴイ人と思ってる。

その「スゴイ」を外す必要がありそうだ。


テレビや映画に出ている人は「人」なんだ。

有名人は「人」なんだ。

そんな風に思って、少し距離を置こう。


そんな風に思うくらいに、土下座騒動で鈴木砂羽さんや擁護する芸能人に失望したのだなあ。


・・・わたむし(妻)