男尊女卑
女人禁制の僧侶の社会で、稚児と呼ばれる少年に身の回りの世話をさせ、性欲処理もしていた。
身分の高い人たちに広まった。
生理のある女は汚く穢れた者と見られ、女性は子どもを産む道具のように扱われていた。
武士の間では、穢れた者と交われば戦に負けるという考え方も広まった。
美形の少年を小姓として身近に置き、寵愛する武将は珍しくなく、
むしろ、武士のたしなみとされていた。この風俗は衆道と呼ばれ、
小姓だけでなく、武士の上下関係にも隅々まで行きわたっていた。
小姓になり武将の寵愛をうけることで出世した人は珍しくないそうだ。
江戸時代まで、この風俗は続いたが、明治時代になると、
衆道を野蛮視する西欧の考え方が広がり、衰退した。
神社、寺院、貴族、武士という身分の高い人々が、男尊女卑の考え方を根強く持っていたのだな。
祭りで「不浄の者入るべからず」と言っていたのも、その影響なのだな。
・・・わたむし(妻)