袋野隧道探検会⑥

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 1664年、五庄屋の活躍により、大石堰・長野水道が開通した。

その事により、吉井地区の荒地が農地へと、変わっていったわけである。

その8年後に、五庄屋のTOPでもあった、田代重栄(たしろしげよし)が、

このプロジェクトを開始したわけである。

田代重栄庄屋家の正門は、今も吉井町高橋に残っている。

写真は、苦労の跡が伺える、つるはし・のみの跡である。