2009-11-07 袋野隧道探検会⑥ 史跡巡り・ウオークラリー・登山 #練習用 1664年、五庄屋の活躍により、大石堰・長野水道が開通した。 その事により、吉井地区の荒地が農地へと、変わっていったわけである。 その8年後に、五庄屋のTOPでもあった、田代重栄(たしろしげよし)が、 このプロジェクトを開始したわけである。 田代重栄庄屋家の正門は、今も吉井町高橋に残っている。 写真は、苦労の跡が伺える、つるはし・のみの跡である。