御花⑦

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 浮羽町史によれば、豊臣秀吉の征韓の役の時、問注所統景は、手勢800余騎を率い、

毛利家の先隊に従い渡海し、明兵としばしば戦い武功をたてた。

文禄二年(1593)九月二日赤国牧司の城を攻めたが、

明の劉綖(りゅうえん)大軍をもって来援したので、毛利の先手としてこれと戦って戦死した。

この時、弟藤十郎正白の他、家臣数百名が戦死したという。

この時に亡くなった、戦死者の慰霊碑はうきは市の勝楽寺にある。

http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/40216929.html

毛利の軍が敗れ去ろうとした正にその時、登場したのが立花宗茂である。

立花宗茂は軍を進め、劉綖の軍を破り去ったそうである。