2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

侍島の合戦①

永禄2年(1559)4月2日、筑前の国侍島(筑紫野市下見)における、大友義鎮(宗麟)方と、 毛利方に内応した筑紫惟門との合戦。‘九州治乱記’には‘永禄二年、 筑前国五箇山の領主筑紫右馬惟門、此二、三年、大友に攻められ山中に引き篭もりしが、今年の春、 …

元寇資料館①

福岡市博多区東公園の北側にある。 この資料館は、それまで各地に散逸していた元寇の資料を、収集して保存する為に、S61年に造られた。 その当時の武器や鎧兜、その後に書かれた元寇絵などの現物が展示してある。 6月までは土・日・祭日の開館であったが、7…

三国境石③

三国境石の北側、アマンディーの旧車両進入口にある。 従是 北筑前国 と書いてある。 これは、二川相近(ふたがわすけちか)の書であり、威風堂々としている。 筑前領内最大の国境石ということである。

秋月街道②

秋月城下から参勤交代で江戸に向かうには、秋月街道を通っていくよりも、 涙坂→白坂峠→長崎街道のコースが一般的だったらしい。 八丁越及び概ねR322に沿った秋月街道で行くほうが、短距離に思えるのだが、 長崎街道の方が近かったのだろうか? 涙坂近くには石…

三国境石②

三国境石の傍石(国境石と国境石の間を埋めるように置かれた石)。 筑前側、従是 北 筑前国 筑後側、従是 東南筑後国 とかいてある。 筑前側・筑後側・肥前側にそれぞれあったが、今は二箇所だけで肥前側の物はない。 アマンディー(旧アクアフォーレ)の建設時…

長岩城史跡案内所⑪

今日、長岩城史跡案内所を訪れた。昨日、6月21日に戻られて今回は7月8日まで開館されています。 今日は、8月に問注所の菩提寺である勝楽寺(しょうらくじ)で行われている、 問注所氏の供養について伺ってきた。 今年は8月3日(日)am.11:00~お経・おとき(食事…

三国境石①

筑紫野市美しが丘南にある、珍しい円筒形の三国(筑前・肥前・筑後)を示した国境石。 (郡境石ではない?) アマンディー(旧アクアフォーレ)、東明館小学校建設時に、長崎街道が寸断され、 今は東側の擁壁をよじ登ってからしか行けない様になっている。 貴重な…

秋月街道①

古処山登山の帰り、R322古処山林道入り口から秋月側へ下っていくと、 ‘秋月街道’の看板が目に入った。 車を止め暫く上っていくと、そこには江戸時代当時の石畳が続いていた。 ‘よくぞ、残っていた!’と頬ずりしたい気分になった。 次回は旧・新八丁越も挑戦…

勝楽寺にある問注所氏の慰霊碑

豊臣秀吉、文禄の役・慶長の役に毛利方先鋒として800余騎を率い出兵し、 戦死した問注所統景(むねかげ)らを供養してある。 勝楽寺は小坂(おさか)の柿畑の中にあるが、案内板もない為、見つけにくい所である。 地元の方に二度伺いやっとたどり着いた。 地…

朝倉市秋月街道にある道標石

女男石集落の南にある。 さいふ 右 まつさき ○是 あまき 左 ほんかう と書いてある。 元々、‘従是・・’とあったのだろうが、上部の部分が折れたのだろうか? でも反射板が耳のように見えて、可愛らしい。

長岩城史跡案内所⑩

平川館長の遠縁に当たる東京の平川さんから、メールを頂いた。 平川館長と同じように問注所一門の事を深く調べてある方で、すごく詳しい。 松尾城への散策も3度挑戦されたそうですが、まだ到達まではしておらず、今年再挑戦されるそうです。 同じような事に…

筑前町の道標石

R386弥永の信号から20m秋月方面に行ったところにある道標石。 はかた 右 道 さいふ くるめ 左 道 松崎 と書いてある。 民家の塀に沿ってあるため、なかなか見つけにくい。

大野城市の道標石

大野城市大城4丁目(太宰府I.C.近く)にある道標石。 左 うみみち 従是 右 やまえ○ と書いてある。 この道標石は、道しるべと道の神とを複合させたもの ということで、珍しいもののようだ。このようなタイプは初めて見た。 道標石の上の方にあるマークが、こ…

長岩城史跡案内所⑨

今日、長岩城史跡案内所を訪れた。 先日、平川館長と遠縁であることが分かった方(東京の平川氏)との繋がりを、 家系図で説明して頂いた。220年程遡った庄屋平川権右衛門善友氏の次男・三男の子孫に あたられるそうです。(良く分かるものなのですね!) 今日…